来たる5月26日(水)浜松市天竜区と福岡県久留米市宮ノ陣校区において、チャレンジデーが開催されました!!
天竜区62.28%、宮ノ陣校区45%ということで、見事に勝利いたしました^^v
そのときのイベントの一つとして、秋葉街道をウォーキングいたしました。
①宝平遺跡
縄文時代中期以降の遺跡で立地条件の良い高台に位置し、2,500〜3,000年以上前からこの土地に先人達が住み続けたと思われる。
②金吾八幡神社
高根城初代城主を祀る神社、奥山金吾正定則は死後、長尾倉の平で茶毘に臥された後、この神社に祀られた。
③接待小屋
秋葉街道を通る旅人の休憩所として村人が湯茶等を提供した小屋です。金銭を頂くと「接待茶屋」となるが、小屋なので物品の販売はしていません。
④長尾・馬頭観音
馬頭観音は馬を供養するための菩薩様ではありませんが、菩薩様の頭部に馬の頭部が彫られているため馬を扱う職業の人達から信仰を集めるようになりました。
此処の上に橋がありここから馬が転落したことから「馬頭観音菩薩様」が祀られるようになりました。
⑤十七屋の蔵・鯉の滝登り
蔵の出窓うだつに盛った平出宇蔵作品の一つ黄金の鯉が勢いよく水しぶきを跳ね除け上る様を鏝絵で表現している。
⑥御旗(小畑)
伝承によると此処に南北朝(後南朝)の終わりころ親王様の御旗が 立てられたところであると言われています。この地がやがて「小畑」の地名の由来となりました。
⑦奥山家
奥山家は高根城城主(葛郷城)系統の名家で江戸時代を通じ領家の「庄屋」を勤めた旧家です。
⑧奥山観音堂
観音堂には西浦観音堂の「能面」と優劣を競う貴重な能面がありました。堂は総欅造りである。
⑨内裏(大里)
信濃熊谷伝記によると天竜の川東、桃井刑部なる新田の武将より「恩名は知らねども皇子預かりし、二年ほどお住まいになられた処大里という(柳田國男・全集)」ことから地名の由来となった。高木家の岩に注連縄を架け此処が「行宮」であったと鈴木保彦氏著書に記されている。-150x150.jpg)
⑩えの木(木の夏:南の木の意味)
えの木は本州に自生する植物ではなく、平安時代領域(荘園)の境界を決める樹木として琉球地方から取り寄せた樹木で、このえの木の文献はありませんが「神の原と内裏」との境にあって「神分」と言いました。神様と内裏様を分けるのは失礼であることから、「髪分」と「神原」とし、その境木として植えられたと考えられます。
⑪薬師堂

ご本尊に「薬師瑠璃光如来」を祀り仁王門と一体化したお堂で阿形・呍形の仁王様が構えています。
⑫旧水窪町役場跡
本町にあった役場は水窪大火によって昭和3年移転されました。役場の設置について意見が分かれましたが、当時の高木弥一郎村長と鈴木直人氏の説得によって此処に決まりました。

⑬左やくし道(道標
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旧役場前の秋葉道沿いに薬師堂への道標があります。以前は高木家側に立っていたと思われるが、道路建設のため移動し、左の方向が逆になっています。
⑭元市神様跡
昔、本町は此処に「市神様」が祀られ月に6回「市」が開かれていました。水窪大火があり町外れの処に移動しました。

⑮市神様

水窪大火以後此処に多くの石仏と共に祀られている。
⑯山住神社遥拝殿
深山の頂き 崇敬の念篤かれど 大神様にお参り適わなき諸人が遥かよりお祈り申し上げまする。

⑰半島庚申堂

庚申様は庶民のコミュティとして六十日に一度の庚申の日に一杯の酒とうどんで語り明かした。また平出宇蔵が外壁を石をすり潰した顔料で造り、昔のままの鏝絵を見ることができる。
⑱次郎兵衛様と双体道祖神
次郎兵衛様と双体道祖神が混同し風聞多く伝えられる。この道祖神には「十四人為菩提」と刻まれている。六十六部供養・秋葉大権現・金比羅大権現・一石四文字馬頭観音の石仏郡。

⑲向市場遺跡

飯田線の付替工事中に発見された遺跡で縄文時代後期の土器が発見されました。
⑳あきば道(道標)・教伝様
石仏群の先頭に上部の欠けた道標「あきは道」があります。中央部に教伝様の祠があり、山岳宗教の盛んな土地柄を物語っています。
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↓↓ ☆チャレンジデーでの様子☆↓↓


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