伊那地区

杖突峠〜分杭峠

★ 魅力

杖突街道
諏訪側の「大曲」から「七曲」を経て「お茶屋平」までウトウや堀切など昔の道が残る。展望もよい。
 守屋山
赤石山脈北端の山(南端は秋葉山)山頂は東西に二つの頂があり標高1650m。東峰から霧ケ峰、八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、を一望する。東峰の守屋神社奥宮は雨乞いにご利益があり、雨乞神事には奥宮の石を谷へ突き落とし、神を怒らせて雨を降らせていたのだとゆう。

杖突峠
秋葉街道のこのルートでは、標高が一番高く1427m。

千代田湖
湖面に映る白樺林。

高遠

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高遠城址公園は春になれば1500本のコヒガン桜が咲き誇る桜の名所。この高遠が火伏の神秋葉神社への参拝道、秋葉街道の起点である。街道には所々昔の町並みが残っている
 気場
有名な気功師によって世界有数の「ゼロ磁場」が発見された。今では色んな地方から多くの人々が気場へ癒しを求めて訪れている。

 入野谷の里
川上に行くと南アルプスの山間に農家がポツン、ポツンと散見できる静寂な里である。孝行猿の牌が置いてある「入野谷」という温泉宿がある。

 からかさ松
天然記念物のからかさ松は地上約70㎝で幹が大きく二つにわかれていて東側を男松、西側を女松とよんでいる。からかさ状の見事な樹形はこの山中で、長い年月風雪に耐えてきた風格を感じる。

突坂
「お石さの坂」とよばれたと突坂があった。昔は馬車など押さずには上れない坂で、トラックの時代になってものろのろと上がっていた。子供らが荷台につかまりよく怒られたという。

 御山
後醍醐天皇の皇子、宗良親王の陵墓とされる築山。頂に円形の塔があり、十六弁の菊花紋章の下に「尊澄法親王」、左下に「元中二乙丑年十月一日」と刻む。

 三羽根
三峰川、黒川、女沢が合流する東側段丘をいう。三羽根峠は御殿場ともいわれ、旅人が休むにはよい場所であったそうです。現在では山砂利の採取場とその作業道になっているので中に入るには許可が必要。ひなた三羽根(尾根の南側)の中腹の大きな松の根元に馬頭観音が建っていたり、この付近は旧街道の面影が濃く残っている。峠には篭を置いたというお篭石があって、近くには馬捨て場や火葬場があった。

美和湖

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この青い色は石灰石を通ってきたから自然と青くなる。

中尾歌舞伎

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明和4年旅芸人が来て、上中尾の山の神様の前で演じたのが始まりといわれています。平成8年に中尾座が完成し、柿葺落に歌舞伎役者の二代目市川十郎を呼んで話題となった。

球形道祖神

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山梨に多く信州では珍しく、二体しかないうちの一つ。地域によって道祖神の形が違ってくる。

郷坂

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中尾から来ると最初の坂が郷坂。途中に白衣観音が岩の上に設置されている。 白衣観音とは阿弥陀如来の妻で観音たちを産んだ母。常に白蓮華の中に住む、蓮華座の上に座り、右手は与願印で左手に持つ蓮華のつぼみを優しく包むしぐさをしている。優しい顔立ちが印象。白衣観音から山手に道をとると、児玉道までは良い道がある。
 長谷村
南アルプス国立公園と、三峰川水系県立公園があり、3000m級の東駒ケ岳、仙丈ケ岳、塩見岳を背景に、四季に映える山里の美しさが心にしみる。

 市野瀬
分杭峠越えの市野瀬〜鹿塩間は宿がなかったため、重要な宿場だった。今も主要な機関が集まっている。古くは集落の中央を粟沢川が流れ、集落の外れで三峰川と合流していた。下流は一面の河原であったという。天保十三年城山の裏の峰を掘り抜き、河流を変えたという。

 大曲
大曲から中沢峠を越え中沢への新道が分岐する。大曲下の曲沢や(林道が峠下まで続いてる。)大曲上の所には木地師の墓や住居があったという。

中沢峠
カンノウ(観音)峠が廃され、新しく設置された峠。ここから仙丈ケ岳と甲斐駒ケ岳の頂きが見える。

分杭峠

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標高1427m。(写真;三角に凹んだ所が分杭峠)南北に続く渓谷を見通す。特に北側の展望は素晴らしい。元禄三年の『御林山絵図』には「御分杭市ノ瀬峠」明治十四年の村図には「粟沢峠」とある。今の名前は陸地測量部の地図が「分杭峠」としたことで定着。また地元では「掘り割り」とも呼ばれ、遠望すると掘り下げてあるのがよくわかる。分杭峠の北側に旧高速藩士経営の「一山」という問屋があった。その後、荷継会社ができ、この峠を二〜三頭連れた馬方が毎日50〜60人通り、賑やかだった。

 矢立木
高さ29m周囲6.1m樹齢500年の椹の大木である。戦国期末、遠山郷の領主遠山氏が、この木の根元に矢を立て、弓の修練をした事が名前の由来。その際に矢立木に射込んだ矢から血が出て不吉を感じたという。遠山氏はその帰りに落合で暴徒に襲われ殺されたのであった。

 槙立
木地師が細々と暮らしていたというこの地に、明治末から大正にかけて、木材の伐り出しの為多くの人夫が集まった。槙立には学校も出来て大きな集落が出現した。北川の秋葉街道は三ツ沢から矢立木まで鹿塩川右岸、それ以外は左岸を通っていた。

★ 観音様・文化遺産

庚申燈篭

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「おこうしんさま」と呼ばれる塔篭。昔は60歳になったら0歳に戻り年をとっていった。今のように120歳というのはなかったらしい。

双体道祖神

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人々の幸せを願い建てられた男女の道祖神。村の出入り口に置かれている。

秋葉山のお札入れ・秋葉山大神

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秋葉神社でもらった火防災除の大願を成就したお札を入れてある。それぞれ民家などに置いてある。今でもその信仰は続いている。

道が舗装されて道端に移動しているが、昔はこの辺に秋葉街道が通っていたという。

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大明神

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この谷の入り口として、また駒ケ岳の一合目として大切なところ。かつては鳥居が建っており、長谷地区では「一山講」という東駒ケ岳を信仰の対象とする山岳信仰が盛んであったことから、特別な意味をもった場所と思われます。上の方のツルに支えられている石が駒ケ岳への願いを参拝する石。
古屋敷→守屋神社→福伝寺→片倉道標→追分石造物群→荒町道標→不六体道祖神→北原庚申塔→台石造物群→栗田・四日市場→栗巾道標→的場道標→高遠宿→高遠城跡
動明王→絵島囲み屋敷跡→検校塚→宗良親王御木像→溝口道標→熱田神社→児玉岩→円通寺→孝行猿の家→栗沢道標

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