戦いの道

武田信玄が拓し駆け抜けた道

天文二十二年(1553年)、伊那谷全域を統一した甲斐国の武田信玄は、遠州攻略の軍用路として利用し、織田信長や徳川家康と壮大な戦国のドラマを展開しました。戦国武将にかかわる史跡や伝説、命を落とした武士達の慰霊の祭りが、この地には数多く残っています。
(http://www.ooshika.com/history/akiba.html)
http://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=xlwaPu3EmNRWxrK3d.EEJ7tNTyKlGEB0#

武田信玄が切り拓いた軍用路

元亀三年(1572)、信玄は遠江・三河を攻略するために軍を三方に分け、自身は小川路峠から青崩峠を越えて天野氏の犬居城に入りました。
甲府から浜松へのルートは、富士川沿いに南下する道や、伊那から新野峠を越えて後の三州街道を下る道も考えられます。
信玄があえて青崩峠越えを選んだのは、道沿いに大きな勢力がなく、遠山氏・奥山氏・天野氏を押さえれば容易に通過できるメリットがあったからでしょう。
信玄は交通路があったから進撃するのではなく、進撃のためにみずから道を押し広げたのです。
江戸時代になって秋葉街道や中馬街道が信仰路・通商路として栄えた背景には、こうした戦国大名たちの努力があるのです。

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