飯田地区

八幡〜小川路

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★魅力
愛宕坂
飯田知久町の裏愛宕坂頭が下街道の起点。愛宕一里塚跡がある。

 牛草坂
下茶屋から「八幡原」に上る坂。上り口に「津島様」と呼ぶ石造物群がある。常夜灯に「天王」と刻むのは、津島様が牛頭天王であるため。天文二三年甲斐の武田晴信が下伊那を攻略し、下伊那への侵攻が明らかとなり、左郷の領主(下条氏・松尾氏・知久氏)達がこの坂に集まって身の振り方を協議したという。

八幡

_MG_0842.jpg飯田と並び栄えた街。遠州への下街道と小川路越えの秋葉街道が分岐する付近は八幡宮や昔の商家が建ち並ぶ。ここに「右しも志やう 左あきは道」と刻む道標がある。秋葉街道の起点である。昭和初期までは遠山谷への物資はほとんどここで調達され運ばれていった。商家の前で馬は荷をつけ、道端は馬糞だらけだったという。

越久保

_MG_1282.jpg小川路峠には三つの上り口(大和知・超久保・小野子)があって、その中でも一番利用された道の起点の集落。小川路峠が「五里峠」とも呼ばれるように、越久保から遠山郷の上町までは五里の距離がある。馬方達にとっては峠越えが一日がかりであったため、越久保には馬宿や宿場があり大変賑わっていた。

 
 小野子
三つある小川路峠越えの上り口の一つで、越久保の左隣にあたる。小野子からは卯月山を経て、大曲頭手前6番観音で合流する。卯月山までは北と南の2コースあって、北側の道沿いに西国三十三観音が合流地まで建ち並んでいた。現在、小野子上の貯水槽の近くに一番観音、卯月山の辻に六番観音が残っている。

卯月山

_MG_1262.jpg展望の素晴らしい所で、伊那谷を一望できる。背後の小川路峠の展望も良い。標高1102m。干支にちなんだ山なのか、卯年にはたくさんの登山者がある。頂上に五葉松と檜の下に小祠を祀っている。
太平坂
大和知の最上部が太平坂の峠。ここに氏乗道沿道建つ坂東三十三観音の第一番がある。観音は小川路峠道の汗馬沢まで置かれている。太平坂の道は二ヶ所が竹藪、一ヶ所の沢が崩れているがなんとか通行可。

 氏乗道
かつて氏乗から遠山郷へは木地屋屋敷から汗馬沢を伝って小川路峠を越える道と、矢筈峠を越える道と、矢筈峠を越える県があった。氏乗は今もなお遠山郷と伊那を結ぶ重要な幹線である。

 寸坂
観世音堂をしばらく行くとつづら折りの坂道が寸坂頭の四番観音まで続く。この坂を寸坂頭までくると、明るい自然林の道に変わる。

大曲
六番観音から小川路峠へは基本的に峰を辿るのであるが、途中の険しい峰は避けて山腹を迂回する所があり、「大曲」といった。「大曲の頭」から十一番観音「笹ん田」までをいう。途中展望の良いところがある。

米川辻
千代の米川への道が分岐するので「米川辻」と呼ぶ。また金毘羅を祀ることから「金毘羅様」とも言った。近くには自然石の道標があり「寛政八年辰九月 右 いいだ富田村 左のいけ 福沢祐治」と刻む。

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汗馬沢
氏乗からの道が合流する。氏乗道に沿って坂東三十三観音が建ち並ぶが、ここで三十三番となる。三軒の茶屋があった。

清水たれ
小川路峠は峰道が多いので水場が少なかった。息をきらせて上ってきた馬方や馬は、ここで一息入れてから峠に向かったのである。沢から水の音が聞こえる。

 ひいる場
「蛭降場・火入場・昼飯場・火振場」等の当て字がある。茶屋が一軒あり、千代への道が分岐していた。石段やカラマツの大木あり。

程野辻
程野への道が分岐するので程野辻という。少し入ると道が崩落しているが、展望がよい。曽山までは一時間ほどで登頂できる。

横峠
三十番で急坂は終わり、暫く平坦な峰道に変わる。このことから横峠という。越久保と上町を朝発った馬方たちはお昼頃峠を越えていたので、この付近での擦れ違いが多く、すれ違いの場所の見当をつけるためお互い呼び合ったという。

小川路峠

_MG_1137.jpg_MG_1386.jpg 飯田市千代と遠山上村を結ぶ峠。標高1642m。飯田の風越山と秋葉山の二つを兼ねた鳥居がある。昔はそれぞれを遥拝した場所で、展望がよかった。一説には遠山氏が開道したといい、戦国時代に武田信玄の軍勢が通過したことで知られています。
 秋葉街道の脇道の一つとして、峠を越えたその先は飯田市松尾で中馬街道と交わります。秋葉参りの参詣人ばかりでなく、遠州方面からの善光寺・御嶽参りの参詣人で賑わいました

★ 観音様・文化遺産

下茶屋道標→妙見社→鳩ヶ嶺八幡宮→城端道標→知久平の舟渡跡
上久堅
知久峯道標→一本松道標→妻の神道標→馬場垣外道標→越久保道標→観世音堂→堂屋敷

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