大鹿地区

分杭峠〜地蔵峠

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★魅力
北川
大鹿村北端の地区。平地が少なく渓谷の遥か高所まで畑を切り開いた。最高所が1520mにも達し、日本一標高の高い集落と称されたこともあった。家数83戸・世帯数百と発展するも、養蚕の最盛期を最後に、過疎化が急速に進み、現在女高と儀内路に数戸のみ。

秋葉古道(北川道)
北川区の秋葉街道は鹿塩川を避けて、左岸の50〜100mほど高い位置を通っていたらしい。川沿いの木馬道が出来たことで廃れた。現在僅かに道跡があるのみ。三六災害の時、槙立で高速行きのバスが孤立。乗客と槙立分校の先生と生徒や住人たちが、秋葉古道を通って、女高集落まで命からがら避難してきたという。対岸に避難した人は、連れてったヤギの乳で飢えを凌いだとも聞く。

柄山
秋葉街道の槙立ちと女高の中間にあった集落。三六災害で集落は流失。集団移住を余儀なくされた。

女高
鹿塩川と女高沢が合流するところが北入女高地区。現在12戸を残すのみ。

儀内路
黒川沢と鹿塩川の合流地。黒川沢に沿って遥か上流まで家があった。80年代の人でないと知らないが、秋葉古道葦原道はここから桃ノ久保を経て梨原へ行く道があったという。

秋葉古道(梨原道)
秋葉街道は鹿塩川を避けて山腹を通る古い道があった。儀内路〜沢入〜中尾を結んでいる。沿道には諏訪大社の里宮と伝える
葦原神社、平家落人集落という入谷があるなど、言い伝えも多い。現在ある川沿いの集落は時代とともにおりてきたものである。中峰からの展望が良い。

鹿塩
鹿塩川と塩川の合流地一帯。旧鹿塩村の中心地。昔、建御名方命(諏訪の神様)が鹿狩りに来た。鹿が好んで舐めるという湧き水のことを聞き、飲むと塩分を含んでいた。この事が地名の由来。市場神社では毎年十月第三日曜日に「大鹿歌舞伎」を開催する
塩壺
古来、日本の塩は海水から精製されていたが、鹿塩の湧水には海水と同じ塩分濃度(1ℓに3g)があった。海水に含まれるニガリなどはなく、純粋な食塩水に似る。源泉を「塩壺」と呼び、塩の精製を目的に、採掘を試みたことがあった。

落合
小渋川と鹿塩川が合流する所。大鹿村のすべての水がここに集まり、伊那谷へ流れ出る。深い渓谷をなし、まさしく落合の名に相応しい。

夜泣き松
目通り4・6mのアカマツ。松の小枝を枕元に置くと夜泣きが止むという言い伝えがある。

中尾峠
秋葉街道は落合の渓谷を避けて、中尾峠を越えた。地元では峠とまでは呼んでないようだ。大河原・青木川渓谷・地蔵峠を見通す。近くの神明社入り口に光背のない丸彫りの道祖神や木製の庚申像があり珍しい。また宗良親王の抜け道に置かれた地蔵がある。隣には堀田城跡があり、宗良親王の家臣堀田氏の城跡と伝える。地元では「ほったんじょう」と呼んでいた。

大河原
小渋川と青木川の合流地に広がる大鹿村最大の平坦地。大西公園の大崩落跡は三六災害時に高さ451m幅280mが崩壊。土砂が下市場・文満の39戸を破壊、水田30余町歩を埋没させ、42人が亡くなった跡地である。公園から赤石岳が見える。

桃の平
古老は「ももんてーら」と呼ぶ。25軒の家があり、分校もあったが三六災害で廃村。現在の林の状況からはまったく想像もできない。青木川へ下りる道や橋は消滅。深ヶ沢まで青木川右岸にあった街道は立間沢の崩落で不通。寺社沢へは獣道程度の道跡があるのみ。

秋葉古道(横山道)
桃の平からの秋葉街道は中央構造線の断層路頭とおぼしき鞄部を三ヶ所越えて深ヶ沢に至る。深ヶ沢から安康へは途中の森岡絶壁を避け青木川右岸に渡った。安康露頭付近で左岸に渡り峠道となる。現在、上青木〜安康間は青木川沿いの車道を歩かねばならない。この道は天竜川まであった森林鉄道の軌道跡を利用したものである。

深ヶ沢
明治頃新しく入植した集落で、古くは新ヶ沢と書いた。青木川両岸に集落跡がある。右岸には大山神社、左岸には一本社を祀る。かつては分校もあり、河原には運動場もあった。青木川には仮設の橋が架かり、青木川右岸の道を寺社沢まで行くことができる。

安康
安康とはカジカのことらしい。青木川と安康沢が合流する平坦地に、大正六年久原製材会社が入山し一時は250人もの人夫がいた。秋葉街道は安康の唐草石を経て、祠峠を越え、地蔵峠に至る。九十九折の車道脇に500mほどの道跡がある。

安康露頭
本州を横断する中央構造線の断層が安康の青木川に面した段丘斜面に露頭する。

地蔵峠

上村と大鹿村との境。現在でも道中の安全を守る地蔵尊が祀られています。名前の由来の地蔵は、元々峠の南にある「堂屋敷」地籍に安置されていて、四基あった内の二基を大正期頃に相次いで移転したものという。一基は延命地蔵で「昭和九年辰十月二十八日」と刻む。上青木中沢の松沢家らの先祖が立てたらしい。南朝の宗良親王が転戦のために行き中し、のちに遠山氏が江戸への参勤のために往復した峠です。秋葉街道はこの峠を越え、分杭峠・杖突峠を経て甲州街道に至ります。
 

☆地元の人の声


「この山里の川に橋のなかった頃塩や生活物資等をどのようにして運んだでしょうか?」
「先ず浅いところを渡る・深い所は丸太を渡して運ぶ・水流の多いときは両岸へ網を張り荷物を結わえて運んだ・軽いものは竿の先端に吊るして渡す・文の様な物は弓の矢につけて飛ばす」
と、古代の川越えの方法について語ってくれた。

★観音様・文化遺産


光源寺跡→女高薬師堂→宝久寺跡→塩泉院→中尾茶屋堂→松平神社→香松寺→大磧神社→下青木薬師堂→松下家住宅→猪待渡→供養塔道標

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